「オカマだけどOLやってます。/能年みね子」人間社会のくだらなさが見えるオカマライフの自伝<書籍レビュー>

こんばんは、妖子です。

ペニスを所有しつつも、性別を偽り、OL生活を送っていた能年さんのエッセイ。

鈍感だった学生時代から、とにかくネクタイが嫌いだった「ネクタイサラリーマン」時代、そしてオカマしながらOLやってた時代までの生活が丸裸。

実際は苦悩も多いと思いますが、ものっっっっすごく軽く、そして、おもしろおかしく書かれていて、大変読みやすいです。

「女になりたい!」わけではなく、「女になる方が楽」というのは、目から鱗。

「男」が「女」になる過程を追うのって、単純に性別が変わるというだけではなくて、しょうもない偏見とか、ステレオタイプとか、思い込みとか、人間のくだらない一面を見ることがセットになってくるようです。

ちん子触られるのが嫌な男がいても、楽に生きるために女になることを選んだ男がいても、そんなのどうでも良いじゃんよ。もはや個性だよ。

「性同一性障害」という言葉が好きじゃない、という能年さんの気持ちはなんとなくわかる。病名をはじめ、名前をつけるってのも功罪あるよなぁ、と改めて感じました。

「トロピカル性転換ツアー」と、合わせて読むことをオススメします(レビューはこちら)。

元気にいきましょう!

★オカマだけどOLやってます。★

タイトル:オカマだけどOLやってます。
ジャンル:エッセイ
見どころ:人間が作り出した性に対するイメージが苦しみの95%
ネタバレ:なし
刊行年:2006年

「男」より「女」である方が楽。それだけ。

スカートより、スウェットの方が楽。

仰向けより、うつ伏せの方が楽。

長座より、あぐらの方が楽。

男より女の方が楽。

うむ、

納得

※「生理とか、社会的地位とか、女も大変だぞ!バカ野郎!」という、フェミニズム的なことではないですよ、念のため。

生まれた時の体が間違っていた。それだけ。

生まれつき、お腹が弱い。

生まれつき、目が悪い。

生まれつき、髪の毛の色素が薄い。

生まれつき、男だけど女だった。

納得。

ポジティブ/ネガティブ関係なく、生まれつき○○、はいろいろ聞きますよね。

間違った体で生まれてきちゃった、っていう感覚は、しっくり来ます。

治療するのが当たり前だし、特別なことではないよなぁ、と。

生まれつき、目が弱い同級生がいたけれど、「だって、しようがないじゃん?」って、あっけらかんとしてた。

本人が深刻になるのは、理解できるとして、第三者が気にしすぎるのは、もはや、お節介

理解ある両親の元に生まれたのはラッキー

「男なの?女なの?問題」で一番厄介なのは、周りの環境。周りの捉え方。

この点、能年さんのご両親は素晴らしい。

というか、私の感覚で言うと、「子供の幸せが一番」という彼らが、”理性ある人間のあるべき姿”だと妄信しているのですが、世の中はどうやらそうではないらしく、大変な思いをしている方がたっくさんいらっしゃいますよね。

まだまだ、理解ある親御さんで「能年さんはラッキーだった」と感想に書かざるを得ない、人間界が世知辛いのなんの。

男女という概念は、ほぼ人工物

この本を読んでいると、男女という概念のほとんどが、人間によって後付けされたものである、ということが、よくわかります。

ネクタイを締めるのが男だとか、スカートを履くのが女だとか、ちん子とまん子が付いているという事実以外は、もはや人間様が勝手に後付けした、人工定義なんですよね。

それに振り回される能年さんが異常というのではなく、人間は自分達の手で自分達の世界を生きにくくしている、という、確固たる事実を突きつけられてしまい、辛み・・・という話です。

でも、その中で生きて行かないといけないんだったら、楽な生き方を選ぶのがド正解・ド正論だと思います。

能年さんは正しい!

まとめ

楽しければ良いじゃん。

マイノリティーとカテゴライズされる人々の体験談を聞くと、ホントこれに尽きる。

細かいこと気にしたって、何にも良いことない。

楽な生き方を選んで何が悪い。

楽しく生きて何が悪い。

特別視(もしくは同情)されているみたいですが、私、それなりに悩みもあるけれど、それなりに楽しくやってますけど、

何か?

という能年さんの、静かで、カジュアルな主張が響く一冊でございました。