「オカマだけどOLやってます。/能年みね子」人間社会のくだらなさが見えるオカマライフの自伝<書籍レビュー>
こんばんは、妖子です。
ペニスを所有しつつも、性別を偽り、OL生活を送っていた能年さんのエッセイ。
鈍感だった学生時代から、とにかくネクタイが嫌いだった「ネクタイサラリーマン」時代、そしてオカマしながらOLやってた時代までの生活が丸裸。
実際は苦悩も多いと思いますが、ものっっっっすごく軽く、そして、おもしろおかしく書かれていて、大変読みやすいです。
「女になりたい!」わけではなく、「女になる方が楽」というのは、目から鱗。
「男」が「女」になる過程を追うのって、単純に性別が変わるというだけではなくて、しょうもない偏見とか、ステレオタイプとか、思い込みとか、人間のくだらない一面を見ることがセットになってくるようです。
ちん子触られるのが嫌な男がいても、楽に生きるために女になることを選んだ男がいても、そんなのどうでも良いじゃんよ。もはや個性だよ。
「性同一性障害」という言葉が好きじゃない、という能年さんの気持ちはなんとなくわかる。病名をはじめ、名前をつけるってのも功罪あるよなぁ、と改めて感じました。
「トロピカル性転換ツアー」と、合わせて読むことをオススメします(レビューはこちら)。
元気にいきましょう!
「男」より「女」である方が楽。それだけ。
スカートより、スウェットの方が楽。
仰向けより、うつ伏せの方が楽。
長座より、あぐらの方が楽。
男より女の方が楽。
うむ、
納得
※「生理とか、社会的地位とか、女も大変だぞ!バカ野郎!」という、フェミニズム的なことではないですよ、念のため。
生まれた時の体が間違っていた。それだけ。
生まれつき、お腹が弱い。
生まれつき、目が悪い。
生まれつき、髪の毛の色素が薄い。
生まれつき、男だけど女だった。
納得。
ポジティブ/ネガティブ関係なく、生まれつき○○、はいろいろ聞きますよね。
間違った体で生まれてきちゃった、っていう感覚は、しっくり来ます。
治療するのが当たり前だし、特別なことではないよなぁ、と。
生まれつき、目が弱い同級生がいたけれど、「だって、しようがないじゃん?」って、あっけらかんとしてた。
本人が深刻になるのは、理解できるとして、第三者が気にしすぎるのは、もはや、お節介。
理解ある両親の元に生まれたのはラッキー
「男なの?女なの?問題」で一番厄介なのは、周りの環境。周りの捉え方。
この点、能年さんのご両親は素晴らしい。
というか、私の感覚で言うと、「子供の幸せが一番」という彼らが、”理性ある人間のあるべき姿”だと妄信しているのですが、世の中はどうやらそうではないらしく、大変な思いをしている方がたっくさんいらっしゃいますよね。
まだまだ、理解ある親御さんで「能年さんはラッキーだった」と感想に書かざるを得ない、人間界が世知辛いのなんの。
男女という概念は、ほぼ人工物
この本を読んでいると、男女という概念のほとんどが、人間によって後付けされたものである、ということが、よくわかります。
ネクタイを締めるのが男だとか、スカートを履くのが女だとか、ちん子とまん子が付いているという事実以外は、もはや人間様が勝手に後付けした、人工定義なんですよね。
それに振り回される能年さんが異常というのではなく、人間は自分達の手で自分達の世界を生きにくくしている、という、確固たる事実を突きつけられてしまい、辛み・・・という話です。
でも、その中で生きて行かないといけないんだったら、楽な生き方を選ぶのがド正解・ド正論だと思います。
能年さんは正しい!
まとめ
楽しければ良いじゃん。
マイノリティーとカテゴライズされる人々の体験談を聞くと、ホントこれに尽きる。
細かいこと気にしたって、何にも良いことない。
楽な生き方を選んで何が悪い。
楽しく生きて何が悪い。
特別視(もしくは同情)されているみたいですが、私、それなりに悩みもあるけれど、それなりに楽しくやってますけど、
何か?
という能年さんの、静かで、カジュアルな主張が響く一冊でございました。